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中央競馬へ入門してみよう

かねてからアメリカ人騎手のヨーロッパ進出に注目していたのだーW・Oはフランス、L兄弟はイギリス、それにCとT・Tはロシアで活躍していた。
Dでは駄目だという道理はない。 Mは言ったことを実行し、ニューヨークをJが初めて東部に乗り込んだときよりもさらに居心地悪くしていた。

シープスヘッドーペイでの開催期間の最後のー〇日間にJは七回しか乗れず、そのいずれもうだつの上がらない調教師の送り出したろくでもない馬ぽかりたった。 W・SやT・Tと同様、今やDは調教師に騎乗させてとせがみ、厩舎エリアで働く若い白人たちやスタンドの常連たちからの悪口雑言を聞き流すしかないチャンピオンの成れの果てだった。
ダービー優勝騎手もアメリカではもうおしまいだった。 大西洋上は寒く、また淋しく、遠洋航路の定期船に乗り込んだDにはアメリカの地で自分が重ねた勝利と過ちとをより分けてみる以外にあまりすることがなかった。
時は一九〇四年二月で、Jは会ったこともない人物、L将軍というアルメニア系石油王の専属騎手になるため、ろくに知らない国ロシアへ向かっていた。 この旅のために新調したオーヴァーを小さな体に鎧のようにまとっていた。
Dとの契約はすでに期限が切れ、Dには契約更新を持ちかけようとする熱意はなかったし、Dも更新したいとは思っていなかった。 皇帝の治める国への切符は思いがけない相手からもたらされた。
名前はJ、数多い友人たちの間ではJと呼ばれている、じっとしていられない性分のブルグラスのホースマンだった。 Jはこの汽船に乗ることになった契約書に前年二月レキシントンで署名するまで、Kに正式には会ったことがなかった。

JとHの兄弟はケンタッキー州フェイェット郡のある牧場で育ち、そこでご多分に洩れず馬を愛する気持ちを受け継いだ。 Jはブルーグラスのかなたに別天地があると信じる夢想家だった。
その世界を見たいばっかりに、少年時代Hとこっそり家を抜け出して旅の一座の目新しい芝居や無声映画を見に行ったり、二〇歳のとき立身出世をめざし故郷を離れてシカゴへ移ったりもしたのだった。 JーKは鋭くとがった鼻と平らな頬骨、それに取っ手のように突き出た耳が特徴の、長身痩躯の男だった。
造作がちょっと不揃いな好男子で、不良っぽい魅力を甘い南部誂が増幅していた。 物を売るのが上手で、シカゴのある会社で販売担当として大いに成果をあげ、最初に持っていた二〇ドルを数千ドルにまで増やした。
金を使うことにかけても人後に落ちず、勤務時間外ばかりか、時には勤務時間中も競馬場に金を投じた。 JーKにとって取引をまとめるのも賭けに勝つのも、同じような気持ちの高ぶりと達成感があった。
競馬場へ行くために働き、無造作な賭け方をするのでまた仕事に戻る必要が生じる。 ある午後、Jはまたもや見逃せない賭けの好機が到来したとて、友人のメソジスト派の牧師からまたいくばくかの金を借りた。
牧師はこうした度重なる無心にうんざりして、カリスマ的魅力を備えた友人を一念発起させようとした。 「J、競馬には二度と賭けないと約束すれば、何でもきみがいいと思う事業を後押ししようじゃないか」Jは牧師の手から金をひったくって、こう詫びた。
「申しわけない。 そういう約束はできませんね。
競馬はおれの生きがいなんで」。 このやりとりは当初は救済につながるとは思われなかったが、しかしJーKにとってはちょっとした天の啓示だった。
彼は競走馬を一頭、また一頭と買い入れ、自分の馬が勝てそうなレースを探して全国を東奔西走するようになり、そうすることで自分の放浪癖をも満足させた。 ブルーグラスのたいていの馬主の例に漏れず、彼も調教の才能があったが、独立心旺盛なため、一ヵ所にとどまって馬主たちを引き付け大きな厩舎を築き上げるということができにくかった。

JとJは過去にメンフィスとシカゴで出会ってはいた。 Jはこの人物を遠くから賞賛の目で眺めていた。
Jは誰にでも、肌の色を問わず親切で、自分なりの幸福を追求するということにかけては、思い切ってやってみることを強く勧めた。 一九〇一年に、Cという白人騎手がJに知恵を借りに来たことがある。
Mはロシアでの騎乗を持ちかけられていて、それに応じるべきかどうか迷っていた。 「ぜひ行くんだね。
それで財布がふくらむかどうかはともかく、経験が豊かになる」Mは渡航して、ロシア競馬界ですぐに花形騎手としての地歩を固めた。 アンリーブロークという銀行家から自分の厩舎を切り回させるにふさわしいアメリカ人調教師を推薦してもらえないかと頼まれて、MはJーKを呼び寄せた。
ブロークとKのコンビは一年そこそこしかもたなかった。 ブロークが馬を調教する手腕にかけては自分も引けを取らないと決め込んで、どの馬をどこのレースに出すか指図しようとしたため、Kは即座にやめてしまった。
彼がモスクワをあとにして帰国の途に就こうとしていた日、L将軍が訪ねてきた。 将軍はブロークのところでのKの仕事ぶりに感心して、うちで働いてもらいたいというのだった。
もっと前に話を持ちかけなかったのは道義的に差し障りがあったからだが、今やきみは契約に縛られない自由な身分だから、差し障りはなくなったのだと将軍は説明した。 提示された条件は悪くなかった。
年俸一万ドルと獲得賞金のー〇パーセント、それに生活費はすべて将軍のほうで負担するというものだった。 将軍の持ち馬や生産馬が帝政ロシア切っての優駿であることも契約の利点を大きくした。

Kはロシア人調教師たちをあまり高く買っていなかったー彼の考えでは、かれらは馬の体調を整えるのに長い散歩と軽めのギャロップに頼り過ぎていた。 Kはあくまでもアメリカのホースマンで、レース前の数日間は馬を威勢よくきびきび走らせるのを好んだーレースの状況をシミュレーションするために高速調教するのだ。
彼はそうやってスタミナを強化するだけでなく、その馬の実力を見極めていた。 ロシア人調教師たちが使う馬具もアメリカの基準からすると時代遅れだった。
一九〇三年にLの厩舎を前任者から引き継ぐに先立って、Kはいったん帰国し、ロシアで人手できるものよりはるかに軽い蹄鉄二〇〇個を携えてロシアに戻ってきた。 Kの強めの調教と軽い蹄鉄との組み合わせはL将軍にたちまち利益をもたらした。
将軍の持ち馬たちはー〇〇戦余りのレースに勝ち、帝国の最も誉れ高いレース、ワルシャワ、モスクワ、サンクトペテルブルクの三大ダービーを席捲したのである。 Kは将軍がアメリカ人騎手を募集しており、代理人として自分が秋にスカウトしにアメリカに戻ると、前もって秋口に触れを出していた。
契約条件は年俸一万三〇〇〇ルーブル、即ち七四〇〇ドルと、賞金のー〇パーセント、それにLの馬が出ないレースに限り他の馬主のために騎乗する機会を与えるというものだった。 本人自身やMのロシアでの成功にもかかわらず、Kは一流の騎手にツアーの国への移住を承知させるのは今のところまだ難しいかもしれないと予想していた。
ヨーロッパでもフランス、イギリス、スペインといった、アメリカ人には比較的馴染みがあって、北極圏に近い僻遠の帝国よりずっと魅力的な国々では、かなりの数のアメリカ人騎手たちが成功を収めていた。

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